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名古屋が生んだ世界の味、幻の手羽先「山ちゃん」誕生秘話 山本重雄さん(「世界の山ちゃん」株式会社エスワイフード 代表取締役社長)
1957年生まれ。49歳。B型。岐阜県出身。高校卒業後、海上自衛隊京都府舞鶴駐屯地の糧食班に勤務。自衛隊の3年満期を経て、飲食店開業を夢見て名古屋に移住。居酒屋「栄太郎」や「村さ来」などで修行を積み1981年、名古屋市中区新栄に「世界の山ちゃん」の前身となる第1号店、「やきとり・串かつ やまちゃん」をオープン。店が評判となり、規模拡張のため1984年4月、名古屋市中区栄に「やまちゃん 住吉店」を、同8月に新栄店オープン。社名を「有限会社世界のやまちゃん」に登録。その後、今池、千種など名古屋市内での出店を加速、1994年にモデル店として東新町に「世界のやまちゃん 本店」を出店。1998年より店名の「やまちゃん」を「山ちゃん」に変更。2000年、名駅地区初出店となる「世界の山ちゃん 名駅西口店」をオープン。現在、名古屋をはじめ東京、札幌、神奈川、熊本など全50店舗を運営。
「飲食店は儲かる」、一冊の本がきっかけで「やまちゃん」は生まれた
ー飲食業界に入ったきっかけは?
私は岐阜県出身で、子供の頃から山で山菜をつんできて調理したりしていたので、以前から料理に興味はありました。高校卒業時は、警察官か自衛官になりたいと考えていましたが、「自衛隊なら料理班があるので料理を教えてもらえるかもしれない」と考えて海上自衛隊に入隊し、糧食班に配属されました。その時ある一冊の本、福富太郎さんの「あなたも一億円貯められる」という本に出会いました。その本の中に「飲食業は儲かります。特に焼き鳥屋が良いです」と書いてあったので、「じゃあ、焼き鳥屋をやろうかな」と思ったのが今の事業を始めたきっかけです(笑)。
3年間自衛隊の糧食班に勤務した後退職し、姉が住む名古屋に来て飲食店開業の夢のため、居酒屋チェーンで修行をしました。そこで魚のさばき方や商売の基本を1年間学び、別の居酒屋チェーンで1年間店長を経験して、独立を決意しました。24歳の時、新栄に「やきとり・串かつ やまちゃん」という名前で、4坪13席しかない小さな焼き鳥屋からスタートし、夕方6時から翌朝5時まで営業しました。当時、新栄周辺では朝まで営業している飲食店が無かったので、近くのディスコで働く若い従業員達が仕事帰りに立ち寄ってくれるなど、クチコミで店の評判が広がっていきました。
「幻の手羽先」と「世界の山ちゃん」誕生秘話とは?
ー開業当時から、手羽先はメニューにあったのですか?
当時の店のメニューは、焼き鳥、串かつ、おでん、どて煮などがメーンで、手羽先はありませんでした。しかし独立開業前にアルバイトしていた店の隣りが、手羽先を専門にしている名古屋の有名店で、とても繁盛していたので「いつか自分も手羽先をメニューに出したい」と思い、アルバイト時代から手羽先の味をずっと研究していました。自分なりに試行錯誤して手羽先の味を決めてから、メニューに加えました。最初の店は、とても狭くて従業員が動けるスペースがなかったので、3年間一人で店を運営して現金で1千万円ほど貯めることが出来ました。それで「飲食店は儲かる!」と確信したので、1984年4月に住吉に既存店より規模の大きい店舗を出店し、8月に新栄にも出店しました。その頃から店の看板に「名古屋の六本木、幻の手羽先 やまちゃん」というキャッチフレーズをつけるようになりました。でもある時、若いアルバイト店員が店の電話を受ける時に、冗談のつもりで「はい、世界のやまちゃんです」と言ったのです。その瞬間「あっ、それ面白いな!」と思い、店名を「世界のやまちゃん」に変更しました(笑)。(1998年から店名の『やまちゃん』を『山ちゃん』に変更)。「幻の手羽先」というネーミングも、お客様が「この美味しさは、『幻の手羽先』だなあ」と言ってくれたのがきっかけですしね。基本的に単純なんですよ、私。
「看板キャラクターは社長自身。お客の意見も積極的に採用」
ーあの看板のキャラクターを作ったことで、何が影響がありましたか?看板に描いてあるキャラクターは自分の似顔絵で、1998年栄店を出店した時に作りました。インパクトのある看板は「やまちゃんって誰?」という人の興味をそそるような要素もあるし、キャラクターはお客様に親しみやすさを与えるので、影響力は偉大です。

例えば、「箸袋」にプリントし手羽先の食べ方のコツを描いた漫画は、以前は女の子のキャラクターを採用していたのですが、お客様から「山ちゃんのキャラクターに変えたほうが面白いよ!」という提案をいただき、キャラクターを変えたこともありました。
従業員がお客様の気持ちになって考えるという姿勢は、全てにおいて必要だと思うので、お客様の反応や時代の流れを見ながら少しずつ方針を変えていくことも大事ですね。あまり思い切った冒険はしませんが「いいと思ったら全面に出していく」、それが私のやり方です。手羽先やキャラクターを全面に出しているのは、その一例ですね。
変な人にはチャンス到来?!「明るく元気に、立派な変人」が山ちゃん的社員教育
ー飲食業は人材確保が難しいと聞きますが、従業員の教育や求人などで工夫していることはありますか?
会社全体で接待営業マニュアルなどは作らず、各店で自由に考え、工夫して行うようにしています。今は「明るく元気に、ちょっと変」を会社のテーマにして、会議で毎月提案や報告をさせて、良いアイデアは全店で採用していきます。私は今まで「まじめ一本」で経営してきたのですが、昨年会社の方針を「立派な人間である、プラス楽しく変な部分を入れていこう! 立派な変人たれ!」と路線変更したのです。最初、社員は「え?」という反応をしていましたが、50人の社員がアフロヘアやチョンマゲのカツラをかぶって、真剣に会議している写真を自社のフリーペーパーに掲載し店頭で配布したら、事務員の就職希望者が一気に集まりました(笑)。求人が殺到した理由は「楽しそうな会社だと思ったから」だそうです。変な人にはチャンス到来なんです(笑)。でも基本は、まじめが大事です。ー今までで一番苦労したことと、今後の展開は?
「鳥インフルエンザ」で、鳥肉の供給が止まった時は困りましたね。東京都内にお店を出そうとしていた時だったので、「会社がつぶれるかもしれない!」と真剣に思いました。その後、すぐに供給が再開され無事にここまで来られました。1998年にオープンした大型店舗の栄店が大きな利益を出したことで勢いをつけ、現在は、名古屋をはじめ東京、札幌、神奈川、熊本など全部で50店舗になり正社員130人、 パート・アルバイト1,200人まで増えました。3年前に出店した川崎では、今でも1時間待ちで並んでくださるお客様がいるので、ありがたいですね。名古屋で「山ちゃん」の手羽先を食べた人が、「またあの味の手羽先を食べたい!」と思って通ってくれるのだそうです。全国でも出店できたのは、名古屋で「山ちゃん」というネームバリューが浸透していたからかもしれません。
今は店舗拡大は一旦止めて、それよりはサービス内容や社員教育を充実させようと考えているところです。社員教育が確立されてきたら、今後は愛知県内なら岡崎のような郊外の都市、もしくは県外なら金沢、沖縄とか地方都市で人が集まる所に出店して行きたいですね。
東京ではオープニングスタッフを集めるのに、約1千万円の費用が必要です。既存店の人員補充も入れると、年間で数億円はかかりますね。ですから、今の従業員を大切にして、留まってもらうことが大事なのです。一時的にお金はかかりますが、ホテルのホールを貸し切り従業員全員で忘年会を企画したり、慰安旅行など福利厚生を充実させることも大切なことと考えています。従業員にもお客様にも『山ちゃん』に興味を持ってもらうことが、私の究極のテーマです。「世界の山ちゃん」

聞手:メディアジャパン
代表取締役 宮崎 敬士
校正:名駅経済新聞 渡邉エリ子
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