名駅の映画館「シネマスコーレ」(名古屋市中村区椿町8、TEL 052-452-6036)で7月28日、映画「この空の花 長岡花火物語」の公開が始まり、大林宣彦監督が舞台あいさつで登壇した。
同作品の舞台は、中越地震(2004年)の被害から復興し、東日本大震災(2011年)ではいち早く被災者を受け入れた新潟県長岡市。かつての恋人・片山(高嶋政宏)の手紙に心引かれ長岡市を訪れた地方記者・玲子(松雪泰子)が、地元記者や伝説の花火師、戦争を紙芝居で語る老婦人ら、さまざまな人と出会い不思議な体験を重ねていく。そして長岡花火にはかつての戦争の空襲や地震で亡くなった人たちへの追悼、復興への祈りが込められていることを知る。2009年に実際に長岡市で花火を見た大林監督が、花火の美しさや散った後の空から感じた『心』を映画にした。
当日、拍手の中、満員の観客の前に登場した大林監督。「映画というものは見てもらって初めて映画になる。皆さんのおかげでこの作品が映画になっていく。見に来てもらえて、ありがたい」と笑顔で話し、舞台に敷いた座布団に腰かけた。
大林監督は「3.11の東日本大震災の直後、テレビも映画も何をすればいいのか分からなくなった。撮り終わっていた映画の公開を取りやめた人もいた。その混沌(こんとん)の中で感じたこと、被災地の人たちの不屈の心や思いやり、あの時の切羽詰まった気持ちを映画に描きたかった。その時に長岡花火を知っていたのは大事なことだった。長岡は戊辰(ぼしん)戦争、太平洋戦争の空襲、中越地震と何度も苦しい目にあったが、復興してきた。それは物の復興ではなく、未来を平和にする、人を育てる復興。平和を祈る花火はその象徴。この長岡の考え方を映像に焼き付けたかった」と映画に込めた思いを話した。
フィルムでの撮影に強いこだわりを持ってきた大林監督だが、同作では映画で初めてデジタルに挑戦した。「ドキュメンタリー以外でデジタルを使ったのは初めて。この映画のテーマだけは、あらゆる手段を使って情報を伝えたかった。編集でも字幕スーパーなどいろいろな情報を入れている。撮影はカメラマンと何度も話し合い、デジタルを勉強した。自由で熱気のある撮影になり、映像に思いが乗った」と振り返る。
長岡出身の観客から監督へ質問する一幕も。長岡の印象を問われた監督は「長岡の人々は我慢強い。夏は今日の名古屋より暑いし、冬は深い雪の中。ロケに訪れた日も雪が降ったが、長岡の人は『あいにくの天気』とは言わない。雪解け水はうまい酒になるから恵みだと考える。この『あいにく』を恵みに変える力が文化だと思う。自分は大丈夫と我慢して、ほかの人に手を差し伸べる文化。これは日本人が失っていたことだと思う」と話した。
舞台あいさつに先立ち行われた記者会見では、「東京での公開は、最初に老人たち、そしてツイッターなどで興味を持った若者たちが映画館に集まり、最終週が一番の入場者数になった。長岡市の皆さん、俳優、スタッフと、たくさんの素晴らしい出会いが重なって完成した映画。ぜひ映画館に足を運んでほしい」と話し、映画の成功を祈った。
同館での上映は今月24日まで。