ナゴヤ地下街の誕生から未来構想まで-金山でシンポジウム開催

奥から、井澤知旦さん、藤川壽男さん、若山滋さん、神戸敏彦さん

奥から、井澤知旦さん、藤川壽男さん、若山滋さん、神戸敏彦さん

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 名駅エリアの街・地下街についてのシンポジウム「駅前アーバンコンプレックス~ナゴヤ地下街と誕生と展望~」が11月25日、名古屋都市センター(名古屋市中区金山町1)で開催された。主催は愛知住まい・まちづくりコンサルタント協議会。

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 当日は、「ナゴヤ地下街誕生物語」著者で愛知工業大学名誉教授で建築家の藤川壽男さんを講師に、名古屋工業大学大学院教授で建築家の若山滋さんを聞き手に迎え、ナゴヤ地下街(サンロード)の誕生・経緯・出店などについて基調講演が行われた。

 ナゴヤ地下街は1957(昭和32)年開業。地下街ができる前の名古屋駅前は自動車が増加する一方、信号もなく、道の反対側に渡るにも危険で、交通事故が多くマナーも悪かったという。事故を減らすためにも地下道を作ろうと話しを持ちかけたのは山口達郎さん(1933年、名古屋市会議員選挙に26歳で当選、一期だけ務めた)。地下街建設の当初の目的は交通災害を解消するものだった。建設には膨大な予算が必要なため、地下道の両側に商店を配することで事業化し、失業対策にも役立てた。1950(昭和25)年、名古屋地下街建設実行委員会が立ち上がり、計画は進み始めた。

 ナゴヤ地下街への出店は当時、地元の一流会社・名店に絞られ、繁華街だった大須から多くの名店がナゴヤ地下街に移店したという。茶専門店「妙香園」「浜乙女」「大須ういろ」「納屋橋饅頭」、書店、時計店など名古屋を代表する名店が「50年前から変わらず店を構えている」(名古屋地下街 総務部部長の神戸敏彦さん)。1953(昭和28)年には、大須=11館、名駅=3館だった映画館も、約10年後には大須=9館、名駅=12館、さらに約10年後には大須=5館、名駅=15館に変化していった。会場で上映された開業当時のナゴヤ地下街の映像には、人々がひしめき合うナゴヤ地下街の混雑ぶりが映し出され、当時のにぎわいを紹介した。

 現在の名駅地下街は、サンロード、エスカ、ユニモール、テルミナ、ミヤコチカ、メイチカ、新名フードで成り、総面積は8万平方メートルに及ぶ。シンポジウムでは名駅地下街、駅前の現在と「より良い未来」について話し合うディスカッションが行われた。「地下街よりも地上のにぎわいを良くすることが大切。電柱、違法駐車、路上パーキングなどをなくして歩きやすい街に」(神戸さん)、「昔からずっと店を残している名古屋の名店の味が残っていることは良い」「栄と比べると緑や公園が少ない。地上に余裕があればサンクンガーデンなども生かせるはず」(若山さん)。「外の光、空気を通すようなモニュメントを利用したい」「歴史の重みを感じるよどみ、どよんとした良さも大切」(藤川さん)などの意見が挙げられた。

 若山さんからは、「HUG CITY」と題した名駅地区の次世代都市空間を提案。新しい移動手段としてエネルギーコストの低い「ゴンドラで空中を垂直移動」、高層ビル同士を結ぶ緑豊かなデッキは、人だけが通れる空間として開発。通路のほかイベントスペース、店舗などを設け「空中にひとつ街を設ける」イメージ。「次世代都市に協力し、技術者が夢を持てばできる」(若山さん)。斬新で興味深い提案に参加者は耳を傾けた。

 また、鉄道輸送の面から見ると、名駅は名鉄・近鉄・JR・地下鉄で1日55万人の利用がある一方、栄は地下鉄・瀬戸線で10万人強。これを見ても名駅エリアは元気だという。「名古屋の中心が名駅ではなく、岐阜・三重といった中京地区の中心が名駅と考える。名鉄百貨店、JR名古屋タカシマヤ、ミッドランドスクエアなど栄と並ぶ商業地区でJRツインタワーズ、ミッドランドスクエア・オフィス塔、ルーセントタワーなどビジネスシーンでも。まだまだこれから伸びるのでは」(都市研究所スペーシアの井澤知旦社長)。

 この日、名駅地下街・エリアの今後に大きな潜在力があることを改めて確認する場となった。

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