名駅の映画館「シネマスコーレ」(名古屋市中村区椿町8)で10月13日から、映画「止められるか、俺たちを」が公開される。公開に先立ち、来名した白石和彌監督が作品の見どころを語った。
同映画館を開館した若松孝二さんが設立した若松プロダクションが、その死から6年が過ぎた今年、「若松プロ映画製作再始動第1弾」として製作した同作。1969(昭和44)年に21歳で若松プロダクションの門をたたいた女性・吉積めぐみの目を通して、映画作りに情熱を傾ける若松孝二監督と仲間たちの日々を描く青春群像劇。
企画・監督は同プロダクション出身で、「凶悪」「彼女がその名を知らない鳥たち」など話題作を発表し続ける白石和彌さん。映画界に飛び込む主人公・めぐみを「ナミヤ雑貨店の奇蹟(きせき)」「サニー/32」の門脇麦さん、30代前半の若き日の若松監督を「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」の井浦新さんが演じる。
「映画を武器に戦ってきた若松さんの声をもう一度聞きたい」との思いから、自ら企画を若松プロに持ち込んだという白石監督。「自分で監督をしなくてもいいから、とにかく見てみたくて企画を作った。僕くらいの距離感の人間が撮った方がいいと言われて監督に決まり、脚本の井上淳一さんと話し合いながら、エピソードを選んでいった。脚本は第1稿から大きく変わらなかったが、タイトル案は『ゆけゆけ若松プロダクション』『青春ジャック』など、どんどん変わっていった。最後に若松監督が気に入って2回くらい映画で使おうとして頓挫したタイトルを選んだ」と製作の経緯を話す。
吉積めぐみさんは当時の若松プロで助監督として活躍した女性。白石監督は彼女を通して「自分は一体何になれるのだろう、どうすればなれるのだろう」と悩む若者の姿を描き出した。「めぐみさんの資料はほとんど残っていなかったので、足立正生さん、秋山道男さん、高間賢治さんなど、聞ける人にはほぼ全員にインタビューした。彼女がお蔵入りしたピンク映画の監督をした際のインタビュー記事があり、それも大きな助けになった。何者かになれることを夢見たり、自分が取り残される不安を感じたり、今よりヒリヒリしていた時代の青春を見せたかった」と話す。
主演の門脇さんについて「事務所の壁に張られていた、おかっぱ頭のめぐみさんの写真を見て、門脇さんをイメージした。以前に仕事をした際に彼女の魅力はすごいと思っていたので、何とか時間を作って出演してもらった」と振り返る。井浦さんについては「若松監督の最後の頃の作品全てに出演していて、彼がいるから撮れていた部分もあったと思う。井浦さんに引き受けてもらわないと、この映画は絶対に無い。晩年に若松さんと過ごした時間を拠(よ)り所に、井浦新という肉体で、逆算しながら若返らせていった。端々に若松さんの面影が見えた」と絶賛する。
若松さんから受けた影響について、白石監督は「あらゆることに聞く耳を持って、受け入れることができた人。若松さんに権力側からものを描くなと言われていたから、僕もアウトローたちを描きたいという意識がある」と話す。「あらためて若松監督の映画作りを追体験して、やっぱり映画は本来自由なもので、言いたいことをその中に込めていくべきだと思えた。このタイミングでそう思える映画を作れたことはすごく自分にとって大きかった。メジャーで大きな映画をやりたいという野望もあるが、低予算でも観客に何かを突き付けるような映画を作れると確認できたことは、大きな収穫と自信になった」とも。
最後に白石監督は「若松映画のファンが見たら、そこかしこに、つながりやいろいろな仕掛けを散りばめてあるので面白いはず。逆に若松作品を知らない人たちは、青春映画として楽しんでほしい。シネマスコーレは若松さんの作った映画館なので、ここで見れば一入(ひとしお)だと思う。映画館のスクリーンで、当時の若松プロを体験してほしい」と呼び掛ける。